Jさんに、現象を眺めているのは違うんだよと言われると、あれ私間違ってるかなと思う。どうなんだろう。質問すればいいんだけど。


現象を眺めると言う事は、「私が」眺めていると言う事だから、ポイントがずれていると言うのはわかる。


例えば会話をしている時なんかも、自分がしゃべっているのを振り返りながら確認しながら話している時と、そんなこと全くなくただ切り捨てながらしゃべっている時とは、あり方が違う。


禅のあり方"三昧"も、なりきる自分が残ると言う点で、難しさがあると聞いたことがある。なるほど、じゃあ無理じゃんと思った記憶がある。


Jさんのメソも、なりきる自分が残るやり方を否定している。Jさんは、間違ってもいいからとりあえずとことんやれと言っている。それしかないかなと今朝は思っている。


真相はただ、バンがあってトンがあってカーカーがあるだけだけど、隣の人がドアを閉めたから出勤するんだなぁ、カラスが鳴いているからゴミ出しに気をつけなくちゃ、みたいな思考が沸いた時にだけ、そのような現実が展開しているように見えている人生のストーリーと言うことらしいね。信じがたい。でも…。


ストーリーが悪いわけじゃ無い。でも真相のわからないままこの人生ストーリーに翻弄されて生きていくのはやめられるなら辞めたい。真相をはっきりさせてから、ストーリーを楽しめばいいじゃん。


掴まない。解決しようとしない。